起業家に学ぶ仕事論:Uber創業者トラビス・カラニック(前編)

こんにちは、てぃーです。

今回から2回にわたり、配車サービス『Uber』、フードデリバリーサービス『Uber Eats』を生み出し、インターネットを介して個人と個人の資産を共有する『シェアリングエコノミー』の考え方を流行させたUber Technologiesの元CEOトラビス・カラニック氏を取り上げたいと思います。

前編となる今回は、彼が20代で経験した挫折の数々を含むUber CEOに就任するまでの約10年間に焦点を当てて、皆さんの人生における教訓をお伝えできればと思います。


プロフィール

氏名:Travis Cordell Kalanick
生年月日:1976年8月6日
出身:アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス
Twitter:https://twitter.com/travisk


経歴

  • 1997年

    大学を中退し、Scour Inc.設立(22歳)

    UCLAでコンピュータエンジニアリングと経営を専攻するも中退
    P2P検索エンジンを手掛けるスタートアップScour Inc.を設立

  • 2000年

    Scour Inc.破産(24歳)

    複数のエンタメ企業から著作権侵害で訴えられ、250億ドルの損害賠償請求を受ける
    Scour Inc.は破産を申請する

  • 2001年

    Red Swoosh設立(25歳)

    Michael Toddと共にP2Pファイルシェアサービスを提供するRed Swooshを設立

  • 2007年

    Red Swoosh売却(31歳)

    Red SwooshをAkamai Technologiesに約1,500万ドルで売却

  • 2009年

    Ubercab設立(33歳)

    Garrett Campと共にUbercabを設立
    サンフランシスコ全域で配車サービスを開始

  • 2011年5月

    パリで配車サービスを開始し、初の海外進出に成功(35歳)

  • 2012年7月

    高級車以外を配車できる『UberX』の提供を開始(36歳)

  • 2014年

    Uber POOL、Uber Eats提供開始(38歳)

    相乗りサービス『Uber POOL』の提供を開始
    フードデリバリーサービス『Uber Eats』の提供を開始

  • 2015年

    自動運転車での配車サービスの計画を発表(39歳)

  • 2017年6月

    UberのCEOを辞任(41歳)


Scour Inc.設立から破産まで

1997年カラニックはカリフォルニア州立大学ロサンゼルス校(UCLA)を中退し、同級生5人で画像や動画のファイル共有サービスを提供するScour Inc.を設立します。

その後、数百万のユーザーを持つ人気サービスに成長し、ハリウッドのスーパーエージェントであるMichael Ovitzから投資を得たことでさらに有名になりますが、2000年にある悲劇に見舞われます。

アメリカ国内のエンターテイメントコンテンツ提供企業、合計33社から著作権侵害で訴えられ、2,500億ドルにも及ぶ損害賠償請求を受けます。カラニックは無実を主張し続けるも、賠償金を支払うことができず、破産申請を行うことを決断することになります。


Red Swoosh設立から売却まで

Scour Inc.の破産申請を行った翌年の2001年、リベンジに燃えるカラニックはScour Inc.の共同創設者Michael Toddとファイル共有サービスを提供するRed Swooshを設立します。

しかし、Red Swooshを設立した2001年から2007年に売却に成功するまでの6年間、立て続けにカラニックに不幸が降りかかることになります。

まずは仲間の裏切りに見舞われます。なんと共同創設者のMichael ToddがRed Swooshのエンジニアと一緒にSONY Venturesに自分達を雇ってもらえないか、オファーを申し出ていたのです。その事実を知ったカラニックをやむなくMichael Toddを解雇することになります。

さらに資金も底をつくと、従業員に給料を払えなくなり、会社にエンジニアが一人もいなくなったことをメディアに晒され、順調に進んでいた大手インターネット会社AOLとの商談も破談になってしまいます。

しかしここで、Scour Inc.設立から10年近くもの間、自分への給料は一切なく、両親と一緒に暮らし、彼女もなく、毎日カップラーメンを食べて暮らす惨めな生活をしていたカラニックにようやく幸運が訪れることになります。2007年にライバル会社のAkamai Technologiesに約1.500万ドルで売却することに成功するのです。


Ubercab設立からCEO就任まで

Uberが生み出したライドシェアのアイデアはパリにその発祥があります。2008年パリで開催されたLeWebテクノロジーカンファレンスにカラニックは参加し、そこで出会ったStumble Uponの創設者Garrett Campから次のようなアイデアを耳にします。ドライバーのコストを皆で割ることで配車をより安価に提供することができるのではないか。

上記のアイデアをもとに、2009年Campは大学院生仲間2人と配車サービスを提供するUbercabを設立します。当時まだカラニックはアドバイザーという立場で携わっていました。

2010年7月配車アプリをリリースし、サンフランシスコでサービスを開始しました。当時は専門の資格を持った運転手がベンツやBMWなどの高級車を配車するサービスとして始まっているため、タクシーと比較して1.5倍の料金でしたが、ボタンひとつで2分以内に配車が出来る利便性と大型車ゆえの快適さから人気を獲得していきます。

2010年10月タクシー業界との軋轢を避けるため、社名をUbercabからUberへ変更し、その2カ月後、ついにカラニックはCEOに就任します。


前編はここまでになります。
次回の後編でUberの成功までの軌跡とカラニック辞任に至るまでのエピソード、本人が語る成功の秘訣についてご紹介いたします。